ホクレア号の日本航海も成功のうちに幕を閉じました。
(伴走船カマ・ヘレのハワイ帰港やホクレア号の帰還等は残っていますが…)
そろそろホクレア号日本航海の総括をすべき時が来ていますね。
とは言えそれらはホクレア関係者諸氏の方々が必ずしてくれるはずなので、猫綱自身が感じたこと(再発見したこと)を書いていこうと思います。
猫綱自身への影響を考えてみると…
1 日本の地域的文化の違いを感じ取れた。
沖縄、熊本、博多、周防大島、広島、宇和島、鎌倉、横浜など、各寄港地の歓迎の方法に、それぞれの地域的文化の違いが感じられました。
また、その文化的個性にそれぞれの人々がその個性に誇りを持っている様子が伝わってきて、たいへん好ましく感じました。
宮本常一の本などを読んでいると、地域的文化の差異が無くなっていく様子を宮本常一が悲痛な思いを感じながら行動している様子が感じられるのですが、この時代に来ても、その地域的文化は(例えいくらかであっても)残っていると確信しました。
2 地域文化ルネッサンスが起こりつつあるのではないか?
各地域でルネッサンスが勃興しつつあるのではないかと、妄想してみたくなりました。一度起こってしまった文化的断絶は決して取り戻せるものではないと思っていましたが、ホクレア号を作り上げた力やこの日本での動きを見ていると、断絶したものであっても、そのかけらを丹念に拾い集め、形にしていくことは不可能ではないと感じています。そしてそれは学者や行政の文化担当者レベルの話ではなく、民間、個人で起こっていることも明記しなくてはいけませんね。
3 ハワイという地域についての興味が湧いてきた。
これも猫綱にとっては大きな変化です。
ハワイはただのリゾートとしか認識していませんでしたが、
その文化、歴史、自然に今は興味がとてつもなく湧いています。
一度も訪れたことがないので、ハワイを体感してみたいですね。
ビショップ博物館にも行って今度こそホクレア号を間近で見たいものです。
4 さてこれから…
ホクレア号は現代の(文化的な)黒船の様なものなのだと思いました。
ホクレア号を見た人、さわった人、追いかけた人の中で、
なにか変化が起これば面白いですね。
そしてそれは猫綱自身の中にも起こると思います。
それが今どのようなものか全くわかりませんが…