Days on the Rove

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第8回かながわ検定横浜ライセンス2級、感想戦2回目[歴史2]

横浜検定2級の間違った問題を再検討。来年につなげ、自分の知識を深めるための感想戦。
歴史編の続き。その2

問21

明治22(1889)年に横浜の外国人居留地にあった工場で、県下で初めてストライキがありました。それはどの工場でしょう。

①綿紡績工場 ②生糸製糸工場 ③造船工場 ④製茶工場

p205に県下初のストライキについて記載あり。
居留地内にあったということで③造船は論外。②生糸製糸は内陸部(だろうと想像)。①綿紡績と④製茶でなやみ。結局綿紡績を選択した。
よくよく考えれば、開港初期の輸出品の一位二位は生糸と茶。問題をよく読んで、推論すれば正解に至ったはず。猛省。(回答①→正解④)
付け加えれば、綿紡績というかメリヤスは後年神戸港(関西圏)が主要輸出品であった記憶。横浜の比ではない。
更にもう一つ。絹織物は開港当初は輸入が輸出額を上回っていた。輸出が上回ったのは明治22(1889)年以降のこと。

問26

横浜市の人口は現在約370万人ですが、第二次大戦後の人口はどのくらいだったでしょう。

①約60万人 ②約80万人 ③約100万人 ④約120万人

テキストに直接の記載無し(過去問に同様の問題は発見)
テキストの人口統計グラフは昭和22年からのみ。ということで直接には調べられない。(昭和22年の段階でグラフの目盛りが80万人前後なので…というところ)

ちなみに昭和26(1951)年、100万人を突破。昭和43(1968)年、人口200万人を突破。名古屋市の人口を抜く。昭和53(1978)年、東京都区部に次いで大都市のうちで二位に。300万人を超えたのは昭和60(1985)年。350万人は平成14(2002)年。

というのはせめて把握しておきたいところ。

これは完全に当てずっぽう。(回答④→正解①)過去問なら…というところですかね。

問27

横浜は開国の地として、ホテルにも古い歴史があります。日本最初のホテルといわれるホテルの名称はどれでしょう。

①居留地ホテル ②横浜ホテル ③港ホテル ④グランドホテル

テキストに記載無し(またもや!)
手持ちの横浜タイムトリップガイド(講談社ISBN978-4-06-214896-6)のp89に以下の記述あり。

横浜ホテル(山下町70)万延元年(1860)オランダ人フフナーゲルが開業。文久3年(1863)には一旦閉鎖されたが、翌年キャリエ商会によって再開。横浜最初のホテルとされている。レストランはもとよりビリヤード場・バー・理容室・洋裁店などが入った本格的なホテルだった。慶応2年(1866)の大火で焼失。

過去問には同じ問題や、横浜ホテルに関する問題あり。

これも完全に当てずっぽう。4分の1の確率でしかない。(回答③→正解②)

 

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