Days on the Rove

好事家風情の日常。読書と散歩と少々の酒。

9.23ディスカバー・ディスカバー・ジャパン展@東京ステーションギャラリー

名称:ディスカバー、ディスカバー・ジャパン 「遠く」へ行きたい
場所:東京ステーションギャラリー
会期:9.13〜11.9
入場料:¥900
見学日:9.23
図録:あり。購入。¥2000

70年代、国鉄のキャンペーンを振り返った回顧展。
さすがにディスカバー・ジャパンの記憶はなく。「一枚の切符から」、「いい日旅立ち」、「チャレンジ2万キロ」あたりからなので、懐かしさよりも目新しく感じさせられた。

同じCMプランナーの手による富士ゼロックスのCM群。興味はあるが本筋ではないので、ここでは記さない。

ディスカバー・ジャパンのポスター群。最初の頃のものは若い女性たちが、日本の風景の中にいるもの。まるでアンノン族のよう。

後期は女性は登場しなくなり、風景や情景が中心になる。
それよって、ディスカバー・ジャパン(以下DJ)のDJたるものの概念が抽出されているように感じた。

国鉄によるポスター群だけではなく、協賛した会社、地方の観光協会などによるポスターが続く。国鉄によるものに比べれば、凡百のポスターに見える。
それでも、国鉄が民間企業などを巻き込んでキャンペーンを張った意味は大きいように見えた。(過去にそういう事例はあったのかな。調べてみたい。)

協賛社である日立のカラーテレビ(キドカラー)の宣伝でもあったポンパ号に関する資料。こんな物を走らせていたのか…と思いつつも、筑波科学万博の際にみた特別列車を思い出す。その源流はポンパ号なのか…

記念切符・記念スタンプの登場。これもこの時代から始まったものなのか不明。ただ、DJとの親和性は高いと感じさせられる。

絵葉書型の旅行からの脱却がDJにはあったようだが、大量消費型の観光に反旗を翻す方向が、実際には新たな大量消費型の観光を招いただけ、と見ることもできるような気がしてならない。
これは、近ツーの支援の元に宮本常一の観文研がやろうとしていて失敗したことにもつながるような気がしてならない。(観文研と近ツー側では温度差があったように見えるので)
(ついでにいえば、DJが始まったのが万博後の1971年。観文研が始まったのが1966年。相互作用ってなかったのかな。このあたり深く掘り下げたら面白いと思うよ)

日本テレビの番組「遠くへ行きたい」。この番組もDJが発端だったのか!
上映されていた作品(伊丹十三のもの)は時間の関係で見られなかったのが残念。

国鉄自体の観光施策って、戦前からある(鳥瞰図絵師・吉田初三郎もその流れの中にいる)けれど、DJは広告や社会的影響は与えたとしても、観光文化そのものは変化させられなかったように見えた。結局。大量消費型の観光にしかならなかったように。

交通史、観光史、広告・デザイン史、文化史などの学際的興味がある自分には、なかなかの展示でした。

最後に。DJのフレーズの中に登場する「美しい日本と私」。川端康成のノーベル賞「美しい日本の私」は’68。角栄の日本列島改造論は’72。ここに観文研の'66と万博の'70を並べると、いろいろ見えてくるものはありそうです。

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