この記事はMediumのアーカイブをはてなブログに保存した物である。(2021-07-18記)
最近、形態はともかく街歩きをする機会が増えた。
そしてついにソロでガイドする経験もさせて頂いた。
そこで自分なりに街歩きのガイドとしての基本方針を。
ガイド役がすべてではない街歩き。
一緒に参加している方の知見・発見が生きてくるような街歩き。
みんながセッションをしているような感じ。(以前参加した築地トマソンツアーのイメージ )
自分とて十全にその街を知るわけではない。街の見方をすべて知るわけではない。なら、参加者にも手助けして貰おうとおもう。
街歩きの前、最中、後とそれぞれに楽しめる街歩き。
謎かけを与え、五感と足でスキャニングして貰い、復習で発見の再構築がなされるようなスタイル。そういう広がりを持たせたい。
もう一度、その街をフィールドワークしたくなるような街歩き。
街歩きを通じて、その街をもっと知りたくなるような(好きになるように)したい。
ガイド役の視点を通して、街を見る視点が広がるような街歩き。
例えば暗渠とかトマソンとか。それぞれあると思うが、自分で街(別の街でも)を冒険できるような視点を得られるということ。
聖地巡礼に陥らず、街歩きの方法・街歩きの視点を伝えるための街歩き。
上記と同じことを言い換えているだけかもしれない。まあ、ガイドの発見したものを追体験するだけでいいの?という気持ちは常にある。
微細にいえば他にもあるだろうが、これらでだいたい説明できると思う。
で、どうするか。
その1.資料の与え方に留意する。
微細な資料は前もって与えない。前もって知識を持たせいないようにする。モチベーションのためSNSなどで謎かけするのはいいかもしれないが。
当日に渡すのは、地図だけでいいかもしれない。街のアレコレを自ら発見して貰うというのはどうだろうか。
古写真や史料はガイド役がそのとき(説明するとき、説明する場所で)に見せればいい。そして終了後に資料集(写真・図表・解説)を渡す。興味があれば、後から読んでも発見はあるだろうし。
歩きながら重い資料をもつ気にはなれないだろうというのも一つの理由。そういう意味ではいかに資料を(物理的に)軽くするというのも大切だと思う。
さらにいえば、資料よりも街を見てほしいと考えている。
その2。参加者の声を拾うようにする。
ガイドよりも詳しい分野や、ガイドが気がつかない視点が参加者にもあるだろうし、それを大切にしたい。
とりあえず、そのようなことを意識していきたい。
最後に
ガイドする以上、参加者を楽しませることと、知見を広がらせるのは当然。その上で、自分が楽しめれば最高である。
参加者のそれなくして、自分だけが楽しんではいけないとおもうのだが。
こういうことばかりを考えているから、意識高い(侮蔑)とか言われてしまうのだろうか。でも、そこは譲りたくはない。