Days on the Rove

好事家風情の日常。読書と散歩と少々の酒。

Event Review 2021/11

名称:杉浦非水 時代を開くデザイン
場所:たばこと塩の博物館
入場料:¥100
期間:09/11〜10/10・10/12〜11/14
見学日:11/07
図録:あり・¥2500・購入

なぜ、タバコと塩の博物館で杉浦非水の展示なのかというと、タバコのパッケージデザインをやっていたのが理由だとおもわれる。響、NIKKO、扶桑、光、みのりのポスターなどが展示してあった。

ブックデザイナーとしての非水。鈴木幽芳の「百合子」、澁澤霞亭の「渦巻」がよかったな。ただ作者も小説も知らない問題はここでも。
ブックデザインを眺めていて、大体同時代の非水と雪岱のそれを見比べてみたいな、と。

タングラムの判じ絵の本?の表紙もよかったな。こういうタングラムならコレクションしたいな。

三越時代の図案。美人画のポスターの系譜があるようで、橋口五葉と岡田三郎助の美人画ポスターが展示されていた。一度、非水の物を見てしまうと凡庸というか普通すぎて目にもとまらぬ様に感じてしまうのは気のせいか。

非水のはイラストチックで平板(絵画っぽくないとでもいえばいいのか)なのだが、それが新しく感じるという…不思議。

三越の機関誌?の表紙も商品を売るという要素が全く見られない。題字も毎回デザインを変えてある。この手の雑誌は商品を売るが為の物だと思うのだが、この雑誌をほんだなにならべることがステイタスであるかのように見えた。

南満州鉄道や逓信省の貯蓄呼びかけポスター(貯金は銃後の務め…みたいな)は時代性なのかな。大正時代のもの。

その一方でJTBの機関誌(ツーリスト:英語表記のものは英語版なのかな?)の表紙なども。吉田博や川瀬巴水も似たような仕事していたのを思いだす。絵の方向性は違うけれど、何か納得させるものがあったように感じたかな。

非水百花譜。デザイン性よりも博物画っぽい漢字。まあ博物画自体が、ある種のデザインの文法があるわけだが。このシリーズは、再販しても売れるのではないかなぁ。絵と写真(自写)と解説文で構成されていたのだったか。

カルピスのポスター。美味滋強飲料とな。なぜにマンモスなのか…。(あのポリコレ案件で消えてしまったストローを咥えたアフリカーナは非水ではないの?調べてみるか)

非水一般応用図案集。どこかで見かけているような(でも間違いなく非水のデザインという)。

写真も趣味だったようで。浅間山の噴火の写真。それを図案に活かしたものが展示。カメラは何を使っていたのかとか気になる。噴火の写真が精細なので、コダックベストとかではないはずなんだよな。

東京地下鉄上野浅草間開通のポスター。あたしゃ、これがみられただけで十分に満足ですよ。

というわけでさほど大きな回顧展ではなかったけれど、見どころ十分な展示だった。くわえていえば、常設の塩と煙草の展示もなかなかに素晴らしい。製塩方法と岩塩の展示。古い煙草の箱のデザインも。これが¥100でみられるなんて、逆に今後の運営が心配になるレベルでした。

 

 
 
 
 
 
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11/16に二度目の横浜×水路上観察入門展へ

 
 
 
 
 
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そして11/20に三度目の横浜×水路上観察入門展へ。ようやく暗渠マニアックスのお二人にご挨拶。この日はご盛況だったので、早々に退散。常連ぶるのは格好悪いからね。

名称:白井晟一入門展(第一部)
場所:渋谷区立松濤美術館
入場料:¥1000
期間:10/23〜12/12(第二部は01/04〜01/30)
見学日:2021/11/23
図録:あり。¥2970。未購入。

何かを掴んだと言えるほどの何かを捉えた気はしないぐらいの情報量だった…まだ、咀嚼しきれない感じが残っている。

図案科で勉強していた時の教授が本野清吾・その前任者が武田伍一という建築家たち。直接は習っていないのだが、武田伍一の名を聞いてなにか納得感があったのはなぜだろう?

秋田の温泉旅館と役場などの建築群。緩傾斜な屋根なのが気になる。雪調系の建築だと急傾斜にするところなのに…。今和次郎さんはどう思ったのかな。

群馬・前橋の煥乎堂書店の建物の美しさ!現存せずなのが残念。群馬人脈にはブルーノ・タウトがらみの人も散見されるらしい。あー、確かにタウトっぽいよねと感じてしまった。これ、高崎〜前橋に遠征しないとだめなのではないか。

話が元に戻るが、秋田市美術館の設計図があった。秋田での人脈に平野政吉はいなかったのかな。そんな妄想をしてみたくなる。(あれは県立美術館か)

芹澤銈介美術館。設計段階で彼と確執があったらしい。そもそも白井誠一は民藝に批判的だったらしいし、なぜに?という気持ちに。(ああ、こちらも行ってみなくては)

白井晟一を語る時に、土着性というキーワードがよくでてくるが、本当に土着性重視なのだろうか。秋田での建築群を見ているとそうは思えないような。土着性を思弁して、一段階上の領域に行っているのではないかな。

NOAビル、親和銀行など。キッチュにならない一歩手前間って何だろうね。そこが、他の建築家との違いか。
つか、そもそも松濤美術館自体が彼の作品なわけで…。あの空間は体験しておくべきだと思うよ。第二部はそこに主眼が置かれるらしいので、こちらも見にいかないと。

そして中公文庫の表紙絵のそれ。初めてカバーを剥がした時にはギョッとした(建築家・白井晟一を知ったのはそのとき)のだが、今となればそれも中公文庫の一部なのだと思わされる。

何よりも咀嚼し切れていないのが残念。もうちょっと探求の旅を続けなくては。

名称:柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年
場所:東京国立近代美術館
入場料:¥1800
期間:10/26〜02/13
見学日:2021/11/23
図録:あり。¥2600。購入。

白井晟一入門展のあとは、東京国立近代美術館の「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」へ。こちらも情報量が多く、再訪しないと咀嚼しきれない感が強い。午後2時からの鑑賞では時間が足りない。混み具合的にも休日にじっくり見るのは不可能なのではないか。

こういう展示を見ていて、改めて思ったのは民藝の物そのものへはあまり心が動かない人なのだなということ。もう民藝のそのものが工芸とか美術品っぽい扱いになっているような気がしてね。ひとつの権威になってしまったということか。(その一方で民芸品=スーベニール的な意識もあって、どうも裾野の広さが本来の定義からブレすぎの物を生み出しているような気がしてならないのだが)

それ以上に民俗学と民藝の差異のあるなしが気になった。柳田國男と柳宗悦の対談している雑誌が置いてあった。司会は式場隆三郎(なるほど)。
方法論とかアマチュアと専門家の未分化性はまるっきり同じなんだなと。あと、同好の士を集めて、雑誌を作るところなども。
それなのに、民俗学と民藝には何かしらの反目のようなものを感じるのは何故なのかな。そこらも突き詰めてみたいのだが。

雑誌、工芸(?)の装釘が芹澤銈介。雑誌なのに装丁に拘る(毎号別のデザイン。表題の文字もそれぞれ)あたりが、趣味人の刊行する雑誌群と似ているような…

アイヌ、朝鮮、沖縄に対する視点、このあたりまんま民俗学ぽいなぁと。先に挙げた柳田國男と柳宗悦の対談を読んでみたい…。どういう結論に至ったのだろう…。

これ、期間がある程度長いので、再訪したい。そして…実際に展示されている民藝をしっかりと鑑賞したい。

そうそう、この日はミュージアムショップを覗いたのに図録以外には手を出さず帰ったのだが、

note.com

これを読んで、納得感があったかな。そういうことだったのかもしれない(後付けなので、断定はしない)

(2021/12/12追記)

live.nicovideo.jp

これを見て思いだしたことを追記する。

プロパガンダ誌NIPPONの特集号で民藝(手仕事)の特集。民藝は官ではなく民である。といいつつ、国策に乗ってしまった民藝。これってクールジャパンのあり方に似ているな、と。大衆化とは別のベクトルで先鋭化・日本特殊論化してしまうのもなんだかなぁ、と。柳宗悦たちがそう考えていたとは思わないのだけどね。これも一種の大衆化なのかも。

雪調(旧農林省積雪地方農村経済調査所)って今和次郎と中谷宇吉郎のイメージしかないので、ここで民藝が関係するの?って思ったのだが…

yukinosato.jp

ここを見ると、副業・農村工業で民藝が関係してくるみたい。なるほど…と。
そして、白井晟一と民藝が対立したというのも、なんとなく納得。白井の建築は雪害を考慮しない建築だものね…

 

 

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