Days on the Rove

好事家風情の日常。読書と散歩と少々の酒。

方代という人

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

方代という歌人がいた。『かたよ』ではない『ほうだい』である。
子供たちに早世された両親が、「生き放題、死に放題」であるとして名付けた名前。
その名の通り方代は勝手気ままな人生を歩んでいた人。

出征中に失明した隻眼のせいか仕事無く家もない。
自費出版した処女歌集は19歳年上の姉に費用を無心したもの。
せっかく姉が用意してくれた仕事も弁当を持ってフラフラとさぼってしまう。

雨降ればつとめやすみて古本屋に歌集さがして一日を遊ぶ

五分間おくれてつきし古河電線門の扉はどつしり閉ぢをり

姉亡きあとは横浜南部の農家で作男として住み込むものの、まともに仕事もしない。いや出来ないのではない、やろうとしないのだ。
貧窮の中でも手放さなかったのは酒と煙草、そして短歌。
むしろ生活を捨てて、歌のみに生きたようにも見えてくる。
方代の歌は放浪の俳人、山頭火や放哉のように人口に膾炙していくだろうと、私は思う。

何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてみてもわからず

力には力をもちてというような正しいことは通じないのよ

このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている

赤子のような詩を書くひとがおりまして覗いてみると寝そべっている

貧乏な詩人が一人住みついて酒をたしなみめしは食べない

卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

空の徳利に盃をふせて遠くからながめていると夜が明けてゆく

自らの貧窮や孤独を歌っているのにもかかわらず、その筆致はどこか明るい。
暗い諦念や厭世観に苛まれていないように見える。
しかし本当の方代はどうだったのだろうか.....

おのずからもれ出る嘘のかなしみがすべてでもあるお許しあれよ

方代はほら吹きであった。
いや、ほら吹きでは意味が違うかもしれない。
自分の身の上や現在の境遇を語るとき、作家的虚構と(ちょっとばかりの)虚栄心の上で語られるのである。
歌のためには自分の過去を美化することも厭わないということである。
そして聞き手を喜ばせるべくの過剰なサービス精神の出現なのでもあろう。
それらはもうほら吹きの範疇を超えて、自分の人生そのものを歌の世界の虚構に利用したということなのではないだろうか.....

蓬髪、面妖な風体で奇行の目立つ人物である。普通の人なら忌諱しかねないような人物である。だが、方代のまわりには彼を支える人々が多くいたようだ。
彼が来るたびに小遣いを与える住職、彼の作歌の上の秘書役を買って出た人、自宅の庭に彼の住まいを用意した人などなど.....
どうやら歌の才能だけではなく、人に愛される何かを持っていた人なのだろう。

ここらあたりは相州鎌倉郡字手広艸庵の札下げて籠もりたり

齢57にして、ようやく鎌倉市手広に小さな庵を持つ。無論自分で建てたのではない、支援者の一人が自宅の庭にプレハブ小屋を用意してくれたのである。
それからが彼の奇行、作歌にも神韻を帯びるのだがそれはまた別の機会に書こうと思う。

彼の評伝を読みながら、ずっと考えていたのが太宰治との類似性だ。
過剰なサービス精神と読者に語りかけてくるかのような筆致。
自らの半生でさえ作品に利用してしまいながらも、どこか真実の吐露はしていない虚構性。
奇行を繰り返した魂の漂泊者であるとことも何か似ているような気がしている。
放哉、山頭火になぞらえる人も多いが自分は太宰治になぞらえて見たいと思う。

というわけで、しばらくの間、山崎方代という人を私的に研究してみようと思う。

ちなみに彼が鎌倉市手広で暮らす前に住んでいた横浜市戸塚区(現・栄区)田谷は、実家のほぼ近所である。
年譜を見る限り、彼とすれ違ったかもしれないという可能性はわずかにありそうなのである。そんなところも彼に興味を持った理由の一つかもしれない。

現在の田谷の風景。工場と建売住宅に囲まれたが、いまでも広い水田が残っている。



無用の達人 山崎方代 (角川ソフィア文庫)
田澤 拓也
角川学芸出版 ( 2009-06-25 )
ISBN: 9784043689033
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