7/7に墨田区役所で開催された墨田区の都市計画WGのすみだ景観フォーラムの特別講座、〜水都すみだの水のない水辺〜に参加してきました。
講座と聴いていたので、いつもお世話になっている暗渠マニアックの吉村さん・高山さんの講演を聴くだけと思っていたら、後半にワークショップまで(^^;)。いろいろ慌てましたが、あえて積極的に(変化球ではあるけれども)攻める方向で、討議に参加しましたよ。
まずは高山さんの暗渠入門的な講演から。
暗渠と加工度や暗渠サインの説明。墨田区に実際に残る(わかりやすい)暗渠サインの少なさを指摘。
そして、高山さんの得意の分析力の発揮。東京23区内の交差点名から橋の名がつくもの、さらにそこから暗渠に架かる橋の数をカウントしたものを発表。
…これで区別に分けると橋の名がつく交差点は中央区が多いという結果に。(墨田区は4位)
さらに暗渠となると、墨田は2位になるが、一位の中央区とは圧倒的大差。(厳密には、○○橋×丁目という交差点もそれぞれ別カウントなので、実際には3橋しかない)
ということで、墨田の暗渠は心の目で見る必要があるという結論で〆。
最後に街歩きのスタイルの変化を指摘して終了。
これが、しっくりきた。自ら見つける時代…。
次に、吉村さんの講演。
吉村さんは歴史を深く掘り込んでいくのがスタイル。
まずは墨田区の地域(向島と本所)における暗渠(水路?)のスタイル(直線と蛇行)の違いから。
人工水路と自然河川の入り乱れ具合の面白さ。
その理由として、地形的要因、歴史的要因、都市化時期の違いなどを指摘。
そして向島と本所を両方に流路があった曳舟川を紹介。
曳舟川。名前の由来は文字どおり『船を曳』いたから。地上から人力で船を牽いて、川を行き来させたのが理由。
曳舟川を描いた明治期の浮世絵師・小林清親の版画。
東京小梅曳船夜図…ああ、この絵知っているぞ!好きな絵師の好きな絵なのに、その場所までは気にしていなかった。
浮世絵と地理…これは、最近気になっているテーマでもあったりする。もう少し描かれた場所を気にしてみるようにしなければ…。
最後は、墨田区内の水路の埋立の歴史についての話。通水がなくなってドブ化したものの話があり、これは地形的な違い(少なくとも横浜のそれとはイメージが違う)かなと感じました。
お二人の講演が終わって、8グループに分かれてワークショップ。
墨田区内の八カ所の暗渠(水路)の写真から、気に入ったものをグループごとに発表するというもの。自分の班は京橋三丁目の水路を選択。
これは、自分も押したもの。墨田区に土地勘の無い自分には、写真がすべてでした。ので、個人的記憶・体験と重なる風景というものを選択した。歴史的経緯とか街歩きしやすいという意見は、他の方から必ずでてくると考えたので、あえて変化球を投げ込む様にしたのだが、よかったのだろうか?
結果、京橋三丁目がグループの選択にも、8グループの集計でも1位になったのはちょっとうれしいところではあります。
まずは、せっかく墨田区とも縁ができたので、墨田の街を歩いてみたいですね。そういう誘われ方もいいのではないかと。
特別講座終了後は、小雨続きの天気に気力を喪失。他の目的をキャンセルして帰宅。